ヘミシンクのことを考えても想像のことを馬鹿にしてはいけないので、そのように想像するとその世界とつながるということはあるんだろう。念仏というのも、日本の場合は題目なり唱えるのが念仏と言われているが、これは観想も含めて念仏である。摩訶止観にはそういうことを書いてあったと思う。
キリスト教の世界にも観想というのはあるが、実際にそういう世界につながるのだろう。松村氏が日記にキリスト教はフォーカス27以上には行かないと書いていて、何となくそんな感じはするが確信は持てない。
そういうわけでそういった、フォーカス27って何ぞやということを考えている。考えてわかるものではないといっても、ヘミシンク聞いたってわからないからそれは同じである。たぶんこれがフォーカス27の感じだろう、というのは私にも漠然とながらあるが、これは確証など取りようがないではないか。
ネガティブを取れば自然に上の世界につながるというのは、考えてみれば同義語というかね。当たり前のことを書くのだが、それがなければ上の世界「しかない」訳だから当然そっちにつながるわけね。
不埒な考え、すなわちネガティブ、あるいは人間関係から来るものもあるけれども、そういうのは生きている限り離れようはない。
ヘミシンクの場合はそういうものはエナジーコンバージョンボックスに叩き込んで放置するという形で上に行くわけやな。
この、上なのかそれとも同じ場所で次元が変わるのかというのはあるけど、そんなのも分からない。ヘミの合宿でそんなことで論争しているのを見かけたことがあるけど。
救出活動というのも元々Rモンローの実感を強烈に伴った体外離脱体験が元になっているわけだから救出活動があります、と言われてハイそうですかと、一応ワークショップではやるけども、どうも実感がないなというのが正直なところ。だからなんやねんっていう。
決まっているからやる、というのはそれはありなんだろうけれど、そんなに飛躍的にそのヘミの世界がわかるということも私にはないだろうからここは開き直って、問うべきは問うことにしよう。それは別に他人に問うわけではなくて自分に問う。
フォーカスレベルの話はまあ分からないことはない。救出活動は全くと言っていいほどわからないですね。瞑想よりも考えるほうが得意だからじゃあ考えてみようということなんですよ。