先日は朝倉駅から目的地まで走りと歩きを織り交ぜながら向かったが、大体時間にして50分というところだった。織り交ぜたといったが実際にはほとんど走ってはいないから、歩いて一時間というところだろう。歩いて1時間と言えば私の伝統的な計算法でいうと4キロだが
歩いたといっても早歩きなら1時間で六キロ歩けるということなんだろう。
ヘリオセントリックは研究する価値があるだろうか。
ところで今朝夢を見たのだが、それは上半身がとても細くなっているという夢であった。なぜそんな夢を見たのかは分からない。
ヘリオセントリックの研究というより、やはりそれが自我中心ではないという態度がおそらく研究に価値をもたらすということなんだろう。今のところの私の考えとしては、占星術には根拠がないので他人に対して押し出していくという意味ではやはり弱い。自分で研究するには十分に価値があると考えている。
現在中心となっているのは、火星であってこれは運動であり演奏であると考えているのだがそれがヘリオセントリックになるとふたご座になる。錆案度数でいうと、これは無駄を究極までそぎ落とすという度数なんだが
『三次元占星術』を読むと、牡牛座は思考感覚で、ふたご座は言語感覚であるなどと書かれていて、意味はよく分からないが、
私はもともと作曲家になることに強い憧れがあったのだが、現在のところ作曲よりは演奏のほうが性にあっているようにも感じているのである。それは、
まさに火星がおうし座にあるように、身体を使用するということが自分に対して新しい発見や充実感を与えてくれるのである。そこから天の何を引き出そうとしているのか、と考えるとなんやろうね、ということになると
今のところ分からない。宇宙の言語、そんなものがあるのか。確かに音楽は言葉ではないが、ある種のことば的なものでもある。
G変奏曲は、一応弾けるには弾けるであろう。