書くところがないのでここに書くことにしよう。
一時期、話を聞いていた人がこういうことを言っていた。悟りの第一歩は感情コントロールみたいな
それ自体に私は反対するものではない。それはそうかもしれないしそうでないのかもしれない。だがその説明というのが「聖者が感情コントロールが出来なかったと思いますか?」というのだが、
俺はキリストにも釈迦にもあったことがないので知らんよ。確かに釈迦は怒らなかったかもしれないという気はするが、キリストについて言えば結構乱暴なことはしている、それは聖書の事績でそう書いてあるからだが、
結局のところ、いやそれはコントロールしながら起こってみせたということになるだろう。要するに結論ありきである。繰り返すようだがキリストがコントロールしながらそういう行動を取ったということを否定するのではない。ただ分からんと私は言いたいだけだ。分からないのにそれを根拠であるかのような説明をされても納得できないということである。
こんな見え透いた結論ありきの説明で説得されるほど私はアホではないと思ったものだった。
感情というのは水素96、働く場所は人体で言えばみぞおちの辺りである。これは体感出来るものだが、これをもしコントロールするとするならば、水素24が働く必要がある。水素24の安定重心をまあ言わば鍛えるためには、水素96をコントロールすることは有益であろう。
一応これが私なりの説明になる。水素24が働く場所は、人体でいえば、おそらく松果体だろう。