明ケイの概念を知って、大分整理が進んできている。変化は急速ではない、少なくとも急速であることを望んでも無益であるから、日々、修練を続けるだけではある。ただ日常における鍛錬の成果、つまり快感のようなものは、生き方を修正しないとやはり、持続させることは難しい。
●●講座でも結局のところそこが修正されないことには、エネルギー的に良い状態になっても元の木阿弥になりやすい。結局のところ親との対決を経なければ私の人生も好転しなかったようにな。経済力があればそこは分離するということは可能だったのかもしれない。だから必ずしも必須ではないかもしれないが、何れにしても生き方が間抜けだと、そのようになる。
そういう意味では、煽動修行というのも、そういえば茄子氏が、生き方が修正されないことには煽動も上達しないとどっかに書いていたことを思い出した。それは真実であろう。
時間を無駄にしたと思っても仕方のない事だが、進むしか無い。