右の気脈の通りが悪いということが、右脳左脳の例の論と関係があるかどうかというと私はそのことに懐疑的である。だけれども、もしそれが関係あるとしたならばこれが可能性といえるかもしれない。つまり、じゅんいちダビッドソンの論法で言えば伸びしろである。
手にしても足にしても変化が出るのは時間がかかるので、特に足のほうなどはまだ冷え性が解消していないわけであるから、それと同様に頭頂付近にしてもやはり時間は掛かるのであろう。だけれども手足と違う点は、あまり運動の介入する余地が無いために、「やった感」が乏しいというのはある。
揺臂なら運動した感があり、爽快感もある。タントウコウで立っているだけというのはやはりかなり高度というか、幽玄というか、言い方を変えればつまらないのであるが、薄味の刺し身を味わうように、そこにも味わいを見つけていくことが肝要であろう。