もっと深い心、神の糸というのがあるのだろうか。あるべきものと、実際のことの間で常に苦しんでいるのではないのか。思いをなくすることは出来ないだろう。ということは何か、それと一致するのか。深いところで決まっている何か、に一致すればいいのか。それでそれは一体楽しいのだろうか。楽しいとか苦しいということも既に無いのか。
たぶんその方向性で、頭部の目覚めというのはあるのだろう。クリシュナムルティのことばを思い起こすが、彼の言葉はあまりにも私に馴染みすぎていて却って新鮮味がない。
覚醒体験という名の直観を通してこのことが真実であると深く分かる瞬間はあるが、それは一瞬のことで現在はそれを日常的理性の側から眺めている感じだ。なぜか引っかかっているのは「その生き方って楽しいのか」ということだ。個人的肉体脳思考の側からそのように見ているのか。
ヘリ千がその神の意図を明らかにする参考になるのか。いやならないとしても忖度するきっかけにはなる。