あれもこれも練習しようとすると、全くキリがないな。
現在練習しているもの
「シェルブールの雨傘」
ムーンリバー
二人でお茶を(ジャズのスタンダード曲)
平均律2巻のト短調と嬰ヘ長調のフーガ(と前奏曲)
バッハの聖歌の旋律を使用したフゲッタ(小フーガ)
これから練習するもの
プーランクの即興曲15番
ゴルドベルク変奏曲
・・・
オルガンは最近練習していないが、その時間はそのままピアノに振り向けられているかというとそういうこともない。最近、1日3時間は某所に缶詰になっているので、その分は一応、時間は取られる。YOUTUBEを見たり、本を読んだりといった自由は利くので特に問題はない。
今は、以前聞いたあるポピュラー曲をlilypondでコピーしている。勿論コピーして終わるものではなく、これを改変してピアノ独奏用にするつもりである。上手くいくかどうかは分からない。
即興曲とは英語で何というかというと、
即興曲第15番「エディット・ピアフ賛」
http://www.youtube.com/watch?v=GETFcTMU1JA
上リンクにはimprovisationとある。そうかと思って調べてみると、どうもimpromptuと記すのが、クラシック畑では一般的なようで、これはフランス語である。カタカナでかくとアンプロンプチュ。
即興演奏はimprovisationあるいはMusical improvisationと言うらしい。
今日缶詰で読んだ本は、『坂本政道×バシャール』(ヴォイス刊行)というものだった。バシャールの言うことは分かることとわからないことがある。すべて自分の選択だと言っても、言わば自己責任論ではあるが、そんなことは到底信じられないというところが本当のところだろう。これも無理やり信じるとするとこれは信仰に近いものとなる。
「自己」と一口に言ってもそれはかなり深さの幅があって、自分にはどうにも変えられない自分というのもあるのである。そういうことはどうするのか、といったような疑問があった。仏教者ならここで前世を持ち出すが、これはある意味では結論から引っ張ってきた理論のようなもので、
結論ありき
と言わざるをえない。勿論、それはその理論が嘘であるという意味ではない。ただ万人を納得させることが出来るという訳ではないだろう。
松果体と水晶について考えよう。ここでバシャール語を使えば、意識が落ちるような種類の情報を入れず、常に水素24を発生させるように、起きている間は常に努力。今のところ私には努力しかないのだ。
最近、周りの人間で結婚する人が多い。