台風が近づいているらしい。今日も、教会にオルガンの練習をしに行かなければならないが、明日は盤石の演奏は無理だろう。場合によってはマニュアルのみの演奏(マニュアルというのは手鍵盤のこと)に切り替えなければ行けないが、ベースが低すぎるためそれも難しい。
ぼくは何を探求すればいいのかということがよく分からないのかもしれない。何かを探求しようという目的地が言葉として提示されていても実感がまるで湧かない、というような。しかしこれを書いていて思ったのは、自分の行動の選択、もっともこれも実際には自分の意志は関係ないとも言われているが
その選択に最善のものを選択することで何やらましになるのではないかという感じもする。
もしこの文章を読んでいる人間がいたとして、何を訳の分からぬことを書いているのかと思うのかもしれないが、私にとっては1ミリであっても書いていたほうが前進しているような気がするのだ。
他者に思い当たる欠点は自分にもあるのだという「教え」は確かにそうかもしれないなと思うこともあって、それはその見ている時には気づかないがふと思い当たることもあるのである。何でもかんでもそうだというのではないが。
そうなるといよいよ自分を高めていくしか無いのだと思うが、ところで何を高めるのだろう。山に登るのとは訳が違う。波動?波動を高めるって具体的に何を指していっているのか分からない。
だがこのようにして考え続けることが必要なのであろうが、私はすぐに飽きてパソコンで将棋を差し始めたりするのだった。初め面白うてやがて悲しい結末に至る。結局はそこだろう。