今からスタバに行こうとしているが、その前に日記を書いておこうと思った。
先程、1時間ばかり走ってきた。足の痛みは多少あるが、気になるほどではない。脚の回転と同じことが、ランニングの時に起こっている。言い方を変えれば足の回転運動と同じようなことをランニング中に再現している。脚の回転運動とは違うことをランニングで行おうとすればそれは勿論可能であって、要するに意識の持ちようである。
最近、もちをよく食べているが、やはり炭水化物は美味いのかもしれないとは思う。もうしばらく炭水化物抜き、というよりも白米を食べていない状態が続いていて、体重も63キロを超えることはなかったが、定期的に体重をはかってもいないし、多少、箍が緩んで来たか。
パンはここしばらく一日一個くらいは食べているし、菓子のたぐいも特に制限していなかった。野菜はまあまあ食べている。
ランニングの話だが、足の回転と相似のランニングの大きな特徴は脚を地に向かわせる瞬間に自由落下という意識を保つことだ。これにより、早く走るということはちょっと難しい。走りを遅くすることはそれほど難しくないが、最速の状態でも他の人が歩くよりも遅いスピードなので、あまり遅くしても意味は無い。
ただ1時間も走っていればそれなりに身体は使う。
「仕事」なるものは一段落している。
最近、右脳と左脳に特徴的にどちらの型に属するという人は居ない、という研究結果があったという。この言葉そのものを見たところで、今までの右脳左脳のような議論を否定する要素は出てこないのだが、それを全て否定しようとするかのような言説も散見する。
そもそも右脳左脳ということを言っている人はそれを「直観的な脳の使い方」や「思考」といったような機能の代表というか、使い方をその右脳あるいは左脳という言葉に託して来たので、実際に右腕を使うというように右脳を使うという人は居ないと思う。右の脳を意識すると直観が鋭くなるという感じも特にない。
この右脳左脳という話は、昔から否定的に語る人もいたようで、確かコリン・ウィルソンの「フランケンシュタインの城」にもそういった断り書きがあった。仮に右脳・左脳という機能局在が成り立たなくても、この本の話は成り立つ、といったような。つまり右左脳というのはある機能をそれに寄って表現しているので、右あるいは左という位置は大して重要ではないということである。