以前どこかの海で、水面に大の字の形で浮いてプカプカ漂っている人を見たことがある。ふんどしだった記憶があるが、多分日本泳法なのだろうと思い、今調べてみると、「浮身」とか「浮き寝」というようなのがあるそうだ。
日本泳法ポップアップ ~水との対話~ | 記事一覧
http://popup-swim.net/modules/news/article.php?storyid=69
日本泳法は習いたいと思ったことはあるが、機会がなかった。
意識状態は常に、高く保とうとしなければ沈んでいってしまうというところは、やはり浮身が出来ていないのであろうがある意味では達人の境地であってそれが出来ない状態では、手や足を休み無く動かして水面に出ていようとしなければおぼれてしまう。
もっともこの喩えからすれば、立ち泳ぎに熟練することによってやがて浮寝が出来るようになるとは思えないが、そこは喩えであって、そのまま別のことに適用することは出来ない。そうかもしれないしそうでないかもしれない。
その話とは別に、フローテーションタンクというのも、あれほど塩(硫酸塩)を入れなくても本当は少し入れる程度で浮いていることは出来るのかもしれない。浮き寝も多分、海のほうがやりやすいのだろう。
kan氏の本に、思考センター優勢の人はたまに数学でもやったほうがいいかもしれないというようなことを書いてあった。しかしそれは別に数学パズル、算数パズルということではないだろう。その事によって宇宙の真理が分かるようになるとも思えないからだ。
私は何一つ分かっていないと考えているけれどもそれは今の私が考えていることであって、この場合の分かると言うことは、例えば数学のパズル問題があって、それが解けたから分かった、というようなものではなく、分かっている意識状態というものがあり、その状態になっているかなっていないかということである。
分かっていないと言うが、分かっている自分もいる。これをあまりに拡大すると、修行しなくても皆悟っていると言うような話になりかねない。仏教の歴史の中でも確かこういうのはあったと思う。その考え方は私は採りたくないのだが、だが、間違ってはいないと今、考えた。
ルピシアでシナモンティーを買ったので飲みまくっている。