今回の旅行に出掛ける前、デッドエンドという言葉をよく意味も分からずに使っていた。後で調べるが私のなかでは行き詰まりの状態と言うことである。それが何故生ずるのか、ということについて考えてみた。
日常の問題によって生ずる障害よりも神の声を聞くことのほうが大事だ。生活が決まりきっていると、そういえばなんかドンファンもそんなことを(お話の中でだが)言っていたな。型に嵌まっていると。
消化しきれないものが毎日毎日溜まっていくから、それで身動きが取れなくなっていく。ノートを書くことは、まず言葉によって対象化することである。96を対象化するには、これでは恐らくまだ不足なのだが、今のところ私には言葉によって対象化するのが確実である。消化し切れないということはそれが、足らないということだ。まだ足らないと言うことだろう。
I氏の先日の話で、苦しいと感ずるほうが、道を求めるからそのほうがいいのだという。私はこの考えには必ずしも賛成ではないけれども、大方そのような傾向が人間にあることは事実ではあるのかもしれない。大体、男女で関係ができると、そこで一つ閉じた社会が成立する。余はそういう状態にあって、これからどうしようこれからどうしよう、道が見出せないものかと思って、一時一人になりたかった。するとその一人になっている間に関係が壊れてしまい、
未来をどうするかということも、考える必要がなくなった。余はお払い箱になって、ある意味道は開けたのか。それは分からない。だがそれもみこころでもあろう。それがどんなに苦しい状態であっても。そして、その頃、I氏に初めて会いに行ったのであった。
デッドエンドに陥らないように、気をつけたいが・・・
*dead end の意味は行き止まり、袋小路、行き詰まりとのことで、その通りの意味で合っていた。