最近、よく聞く言葉に「冷静に」というのがある。例えば、日本の閣僚が中国や韓国に食品の輸入について「冷静な対応を要請した」などというのがあるが、冷静に、大事をとって禁輸にする場合もあるのであって、すなわち限界に「禁輸=冷静でない」という決めつけを感じる。
旅行などについても、冷静に考えて不要不急の観光旅行を、わざわざ今の時期に、政府の体をなしているかどうかも分からないような連中の言う事を真に受けて来るほうがおかしい。来ないのが冷静な対応だと私などは思う。
またこういった話もある。「疫学的に放射性物質が危険だという証拠はない」。これは内部被曝、外部被ばく、また量的な場合分けが必要なことは言うまでもないが、科学の側面として、因果関係が確定的でないものについて、データとして取り入れるか切り捨てるかで大きな違いが出てくる。
放射性障害のひとつとして知られるガンなどは、他にも促進因子が多くあり、そのひとつは加齢だと思うが、それが加齢によるのか、喫煙によるのか、その他の何かによるのか区別することは困難であろう。だから影響がないと科学的には言いうるが、果たしてそれが正しいのか。
チェルノブイリ事故の放射線障害の悪影響について、小児の甲状腺癌にしか影響が認められないというのも、私の想像するところおそらくこれだと思う。同じ母集団同士を比較して明らかな差異が認められやすい事例であったのだろう。
過度に敏感になりすぎると今度は生活ができなくなってくるのでバランスの問題だが、冷静に考えて大事を取るという態度もあってしかるべきであろう。勿論、一切気にしないという人間はそれはそれでよいと思う。繰り返しになるが、大事を取ることが冷静でないというような物言いは、やめてもらいたいと望む。
「冷静に」というのもある種の感情的呼びかけだ、と言った人がいるがこれはその通りだろう。一種の、感情論といえる。