私はなぜか学生の頃から占いには深い興味があって、一般的な占いで全く不案内なものは無いといっていいと思う。占いが当たるかどうかというのは微妙な問題があって、言いようによっては何とでも解釈出来たりするから難しい。
だから当たるかどうかではなくて役に立ったかどうかで言えば、単純なコイン易占が一番役に立っていると感じる。 # by rolling-thunder | 2012-01-29 22:58
上引用とは関係ないが、テーラワーダ仏教では真我を認めない。それはそれを認めてしまったら仏教ではなくなってしまうから、というのがひとつの理由であるとぼくは考えている。他にも考えられることがあるが書かない。 だが、大乗仏教でいう「仏性」という概念は真我「みたいなもん」と考えていいのだろうか。これがひとつの疑問である。 ![]() # by rolling-thunder | 2012-01-29 13:45
半年くらい前から徐々に身体に関する行の方向性を変えて来ている。
手や足と、胴体や頭部を同列に扱うことは出来ないが、共通の部分もあるので、違うところと同じ所をどのように考えるか。分からないことも多いので見極めつつ進めている。 揺臂という名前は常松勝「通背拳」という本で見て名称を知ったのだが、私は(別の場所で)習ったもののその型の名前は教えてもらっていない。また本に書かれているのとは多少やり方が違うし、やり方も本のほうが多い。 やり方を多く知っていても行の深さという意味では、一つを多くやったほうがいいと思う。勿論多くを深くやったほうがいいのに越したことはないのだが、やれば身体も疲れるし人間には時間も体力も限られている。虻蜂取らずという諺もある通りだ。 ボールを投げる時に肩関節だけ使って投げる人間はまずいないと思う。腕は勿論だが、背中や、腰、足を含めて全体を使って投げるのである。 揺臂も同様であり、そこに気を付けないと肩関節を痛めるだろう。そしてそうはいってもボールを上手く投げられない人がいるのと同様、揺臂もまたそういう人はいると思う。その場合は向いていないので実習を中止すべきであろう。肩を痛める可能性がある。 ![]() # by rolling-thunder | 2012-01-28 21:24
ある会合があり、少し話もあるというので出掛けた。
コンガという打楽器についての話がなされていた。多数で打楽器などを奏するというノリにはなかなかついて行けない。要するに慣れの問題ではあると思うが。 ああいう雰囲気の気持ちの良さというか麻薬的な感じを少し理解したのだが、そこに没入できないというか。 話が済んだ時点で早々に退散した。しかしアンサンブルというのは興味が無いわけではない。 (写真と本文は関係ありません) ![]() # by rolling-thunder | 2012-01-27 21:33
「嫌なら見るな」という言葉があるが、これはテレビよりネットに置いては特に重要な格言であるように思われる。テレビというのは玉石混交だし、公共性が要求されるものであるから、視聴者はともかく、発信側がそれを言うのは許されることではない。
だがブログやサイトやなんかは見なければそれで済むのに見てしまうという状態も多いのであって、私なども、腹が立ちながらつい見てしまうということはよくある。その場合には、「嫌なら見るな」を自己に徹底することが精神のために良い。 # by rolling-thunder | 2012-01-26 13:18
友引を避けた告別式が執り行われた。坊さんは実際に死者を導く能力は必要とされてはいないが、浪曲のような詠唱の才能はあったほうが良いのかも知れない。ああいった儀式のなかで意味のよく分からない詠唱を聞き、焼香の香りに包まれながら、徐々に身近の死を受け入れていくということなのだろう。
ということは、儀式の意味は充分にあるということになる。 先日は「南無遍照金剛」と言っていたと記憶していたのだが、今日は「南無大師遍照金剛」と言っていたようだった。これなら四国遍路などでもよく唱えられている。 また、葬式の時に理趣経を詠むという話を聴いていたので耳を傾けてみたが、記憶の限りではそれっぽい感じのを詠んでいたようだ。(せいせいくーしーほーさい・・・といった部分) http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/risukyou.htm また歌のようにして古語の文章を詠んでいたが、空海の遺した文章の何かだろう。そういうことを考えながら聴いていたのでそれほど飽きるということもなかった。 ただ親戚とはあまり話す話もない。それだけは如何ともし難いと言えよう。 # by rolling-thunder | 2012-01-25 22:21
昨日の夜の瞑想は、明らかに何か一瞬だけだがまぶしい光が見えたな
それから一定時間やっていると眠くなるのはちょっとどうしようかと思っている。 ffmpegというのはFLVファイル(等)をmp3(など)に変換するためのフリーソフトである。コマンドラインからの入力が必要なので使い勝手が慣れていない人には良くないので、別のフリーソフトがありそうなものだが、私は以前から使っていた。
だが現在環境が変わったので別のGUI的な(この使い方が正しいのかどうか分からない)ドラッグアンドドロップ可能的なソフトを使ってみたのだが、巧く変換できていなかったのでやっぱりまた使わざるを得ないことになった。 Rubyにはgemからインストール出来るライブラリがあるようなのだが、何か、うまくいかない。またffmpegの使い方は日本語で詳しい情報が得られるが(例えばwikipediaなど)、Rubyのffmpegライブラリは日本語の情報がなく使い方がよく分からない。 結局、変換元ファイルとffmpeg.exeを同じフォルダに入れて command='ffmpeg -i (変換元ファイル名).flv (変換後ファイル名).mp3' ということでうまくいった。インストール法はhttp://d.hatena.ne.jp/ke_takahashi/20120105/p1を参考にした。 最後の一行は変換中のデータらしきものを表示させる。RDE上で実行した。コマンドラインで打ち込んでも大した手間ではないのだが、前の打ち込んだ跡があると便利が良い。 こういうのが本当に力を発揮するのは大量のファイルを連続的に変換する場合である。 上参考リンクでlibfaacというのはflv→mp3変換では特に必要としない。aacというファイル形式がありそのためのものだと思われる。 試しにflv⇛avi変換してみたら、出来た。 # by rolling-thunder | 2012-01-24 20:15
『脳内麻薬と頭の健康』(大木幸介著、ブルーバックス、1988)では、POMCというβエンドルフィンの前駆物質について述べたあとで次のように書く。
ただ、これに待ったをかける重大な事実がある。それは、人間にとっても動物にとっても脳は最重要な器官であるので、そこを保護するために「血液‐脳関門」という厳重な関所があるということである。 もう大分前の本なので今はまた変わっているだろう。そういうことを考えながら鋤のポーズを取っていた。 # by rolling-thunder | 2012-01-24 19:16
法事があり、焼香の煙に燻されていた。
葬式や墓地に行った後、しばらく(1ヶ月くらいだったか?)は顕教ヨーガをするのは控えるほうがよいという話もあるが、私はレベル低いので心配は要らないだろう。顕教ヨガと言えるレベルでもない。ただ息に留意していたら時間は早く過ぎ去った。 南無遍照金剛、南無遍照金剛、南無遍照金剛、南無興教大師、南無興教大師、南無興教大師 と。興教大師(覚鑁)にも帰依している訳だ。ビルマあたりのお経というのか、仏典を歌にしたようなものは、やはり日本の節回しとの違いを感ずるが、日本のはどうもひとつの起点となる音があって、それを保ちつつ上がったり下がったりすることで、その起点の安定性を確認しているというか。 親戚との話は話題に困るので早々に引き揚げた。Brahms op.116 no.2はよい。 ![]() # by rolling-thunder | 2012-01-23 23:39
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