IE9ピン留め
占い2
私はなぜか学生の頃から占いには深い興味があって、一般的な占いで全く不案内なものは無いといっていいと思う。占いが当たるかどうかというのは微妙な問題があって、言いようによっては何とでも解釈出来たりするから難しい。

だから当たるかどうかではなくて役に立ったかどうかで言えば、単純なコイン易占が一番役に立っていると感じる。
# by rolling-thunder | 2012-01-29 22:58
占い

A  「ホロスコープによって予定された個人の運命というのもずれるんですか。」

ダン 「ホロスコープの場合は、ホロスコープを解釈するメジャーというものが、今まで培われてきたでしょ。すると、培われてきたものというのは今までの時代に起こってきたことの確率によって成り立っているわけ。
ところが、もし本当にそういうのを見る目のある人がいたら、そういうのに全くとらわれないで見るわけ。つまり、外にあるものが何か教えてくれるんじゃないんだ。」

A「内側を象徴していることは事実でしょ。」

ダン「内側を象徴しているものを直観するというのかな。
俺は沖縄にいたことがあるんだけど、沖縄のノロ(祝女)のおばあなんかがさ、例えば雨が急に降り出したら、あ、これは沖縄のどこかで暴動が起こるというわけだよ。そうすると学生運動なんかで、学生が一人死んだりするわけだよ。
雨なんてどこでも降るじゃない?だからそれを聞いた人はあれは迷信だと言うわけだよ。ところが雨といっても、違うんだ。雨をきっかけにして自分の中を見たにすぎない。つまり、普遍的無意識といってもいいけど。」

(『君がどうかい? 雨宮第慈講話録2』 渡辺郁夫編 広島精神文化研究所 p.56から引用。適宜改行した)


上引用とは関係ないが、テーラワーダ仏教では真我を認めない。それはそれを認めてしまったら仏教ではなくなってしまうから、というのがひとつの理由であるとぼくは考えている。他にも考えられることがあるが書かない。

だが、大乗仏教でいう「仏性」という概念は真我「みたいなもん」と考えていいのだろうか。これがひとつの疑問である。

# by rolling-thunder | 2012-01-29 13:45
縦と横
半年くらい前から徐々に身体に関する行の方向性を変えて来ている。

手や足と、胴体や頭部を同列に扱うことは出来ないが、共通の部分もあるので、違うところと同じ所をどのように考えるか。分からないことも多いので見極めつつ進めている。

揺臂という名前は常松勝「通背拳」という本で見て名称を知ったのだが、私は(別の場所で)習ったもののその型の名前は教えてもらっていない。また本に書かれているのとは多少やり方が違うし、やり方も本のほうが多い。

やり方を多く知っていても行の深さという意味では、一つを多くやったほうがいいと思う。勿論多くを深くやったほうがいいのに越したことはないのだが、やれば身体も疲れるし人間には時間も体力も限られている。虻蜂取らずという諺もある通りだ。

ボールを投げる時に肩関節だけ使って投げる人間はまずいないと思う。腕は勿論だが、背中や、腰、足を含めて全体を使って投げるのである。

揺臂も同様であり、そこに気を付けないと肩関節を痛めるだろう。そしてそうはいってもボールを上手く投げられない人がいるのと同様、揺臂もまたそういう人はいると思う。その場合は向いていないので実習を中止すべきであろう。肩を痛める可能性がある。






# by rolling-thunder | 2012-01-28 21:24
打楽器
ある会合があり、少し話もあるというので出掛けた。

コンガという打楽器についての話がなされていた。多数で打楽器などを奏するというノリにはなかなかついて行けない。要するに慣れの問題ではあると思うが。

ああいう雰囲気の気持ちの良さというか麻薬的な感じを少し理解したのだが、そこに没入できないというか。

話が済んだ時点で早々に退散した。しかしアンサンブルというのは興味が無いわけではない。

(写真と本文は関係ありません)

# by rolling-thunder | 2012-01-27 21:33
嫌なら
「嫌なら見るな」という言葉があるが、これはテレビよりネットに置いては特に重要な格言であるように思われる。テレビというのは玉石混交だし、公共性が要求されるものであるから、視聴者はともかく、発信側がそれを言うのは許されることではない。

だがブログやサイトやなんかは見なければそれで済むのに見てしまうという状態も多いのであって、私なども、腹が立ちながらつい見てしまうということはよくある。その場合には、「嫌なら見るな」を自己に徹底することが精神のために良い。
# by rolling-thunder | 2012-01-26 13:18
法事2
友引を避けた告別式が執り行われた。坊さんは実際に死者を導く能力は必要とされてはいないが、浪曲のような詠唱の才能はあったほうが良いのかも知れない。ああいった儀式のなかで意味のよく分からない詠唱を聞き、焼香の香りに包まれながら、徐々に身近の死を受け入れていくということなのだろう。

ということは、儀式の意味は充分にあるということになる。

先日は「南無遍照金剛」と言っていたと記憶していたのだが、今日は「南無大師遍照金剛」と言っていたようだった。これなら四国遍路などでもよく唱えられている。

また、葬式の時に理趣経を詠むという話を聴いていたので耳を傾けてみたが、記憶の限りではそれっぽい感じのを詠んでいたようだ。(せいせいくーしーほーさい・・・といった部分)

http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/risukyou.htm

また歌のようにして古語の文章を詠んでいたが、空海の遺した文章の何かだろう。そういうことを考えながら聴いていたのでそれほど飽きるということもなかった。

ただ親戚とはあまり話す話もない。それだけは如何ともし難いと言えよう。
# by rolling-thunder | 2012-01-25 22:21
記録
昨日の夜の瞑想は、明らかに何か一瞬だけだがまぶしい光が見えたな

それから一定時間やっていると眠くなるのはちょっとどうしようかと思っている。
# by rolling-thunder | 2012-01-25 09:00 | 日々の記録
Ruby と ffmpeg
ffmpegというのはFLVファイル(等)をmp3(など)に変換するためのフリーソフトである。コマンドラインからの入力が必要なので使い勝手が慣れていない人には良くないので、別のフリーソフトがありそうなものだが、私は以前から使っていた。

だが現在環境が変わったので別のGUI的な(この使い方が正しいのかどうか分からない)ドラッグアンドドロップ可能的なソフトを使ってみたのだが、巧く変換できていなかったのでやっぱりまた使わざるを得ないことになった。

Rubyにはgemからインストール出来るライブラリがあるようなのだが、何か、うまくいかない。またffmpegの使い方は日本語で詳しい情報が得られるが(例えばwikipediaなど)、Rubyのffmpegライブラリは日本語の情報がなく使い方がよく分からない。

結局、変換元ファイルとffmpeg.exeを同じフォルダに入れて

command='ffmpeg -i (変換元ファイル名).flv (変換後ファイル名).mp3'
file=IO.po pen (command)
puts file.read

*オープンの部分の空白は不要。ブログのセキュリティ上、使用できないらしい。


ということでうまくいった。インストール法はhttp://d.hatena.ne.jp/ke_takahashi/20120105/p1を参考にした。

最後の一行は変換中のデータらしきものを表示させる。RDE上で実行した。コマンドラインで打ち込んでも大した手間ではないのだが、前の打ち込んだ跡があると便利が良い。

こういうのが本当に力を発揮するのは大量のファイルを連続的に変換する場合である。

上参考リンクでlibfaacというのはflv→mp3変換では特に必要としない。aacというファイル形式がありそのためのものだと思われる。

試しにflv⇛avi変換してみたら、出来た。
# by rolling-thunder | 2012-01-24 20:15
関門
『脳内麻薬と頭の健康』(大木幸介著、ブルーバックス、1988)では、POMCというβエンドルフィンの前駆物質について述べたあとで次のように書く。

ただ、これに待ったをかける重大な事実がある。それは、人間にとっても動物にとっても脳は最重要な器官であるので、そこを保護するために「血液‐脳関門」という厳重な関所があるということである。

この血液‐脳関門は、脳に栄養を供給する毛細血管によってできている。その毛細血管の膜が他の毛細血管と異なって密で、脳に必要な物質しか絶対に通さないからである。したがって、タンパク質の合成原料として必要なアミノ酸は通れるが、アミノ酸が多数結合した小型タンパク質であるペプチドホルモンは血液‐脳関門を通れない。このことから、ACTHやベータ・エンドルフィンは、ましてPOMCは毛細血管から脳へ入れないと考えられていた。

ところが、ここに、都合の良い例外が発見された。たとえば、ペプチドホルモンが主として働いている原始的な脳、視床下部と、脳幹の最下位にある延髄の付近では、血液‐脳関門が不完全なのである。とくに視床下部の付近はよく研究され、有窓毛細血管という毛細血管の一部に開孔(径約六〇ナノメートル)したものがあったり、毛細血管が直接、神経細胞と結合したりして、毛細血管と脳内神経が直接、物質のやり取りをしていることがわかってきた。このようなことから、ペプチドホルモンといっても、視床下部や延髄の近傍では、直接、脳へ入っていける可能性が出てきた。

(同書pp.124-125)


もう大分前の本なので今はまた変わっているだろう。そういうことを考えながら鋤のポーズを取っていた。

# by rolling-thunder | 2012-01-24 19:16
法事
法事があり、焼香の煙に燻されていた。

葬式や墓地に行った後、しばらく(1ヶ月くらいだったか?)は顕教ヨーガをするのは控えるほうがよいという話もあるが、私はレベル低いので心配は要らないだろう。顕教ヨガと言えるレベルでもない。ただ息に留意していたら時間は早く過ぎ去った。

南無遍照金剛、南無遍照金剛、南無遍照金剛、南無興教大師、南無興教大師、南無興教大師


と。興教大師(覚鑁)にも帰依している訳だ。ビルマあたりのお経というのか、仏典を歌にしたようなものは、やはり日本の節回しとの違いを感ずるが、日本のはどうもひとつの起点となる音があって、それを保ちつつ上がったり下がったりすることで、その起点の安定性を確認しているというか。

親戚との話は話題に困るので早々に引き揚げた。Brahms op.116 no.2はよい。




# by rolling-thunder | 2012-01-23 23:39
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文明研究

by rolling-thunder
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