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今置かれた環境に満足しているのかもしれない件

行の方は予想通りの結果が出るかどうかは分からないが少なくとも悪影響は今のところ出ていない。私の履歴では実際はこっちのほうがめずらしい。

考えるに、どうも肉体と意識のバランスを欠くと悪影響が出てくるようで例えば意念小秋天と呼ばれるものでも(*隠語である)出来たところで何だという話になるのはまだ良くて、気に敏感になるばかりで身体がついていっていないから逆に身体が弱くなったりする。今思えば分かるのだが、当時は分からなかった。

大体の傾向をいえば、身体を鍛えるような意味で、負担がきついもののほうがこういった悪影響は出難いように感ずる。

ピアノの音が響く時と響かない時があり、これがなぜなのかと考えている。ピアノの置かれている環境にも寄る。現在の場所では、音が少ないほうが綺麗に響くようである。またうまく響かないと感じて少し休んでみると響くようになっていたりする。

基本的には即興演奏が一番よく響く。なぜなら響くようにしか弾かないし、変えてもうまくない場合は弾くのをやめてしまうからである。書かれた音楽の美はそれとは少し別のところにもある。全く別ではなくて、ある程度重なっている。

slentando だんだん遅く。手綱を緩めるという意味があるらしい。ritardandoとどう違うのだろうか。似たような意味のものは多い。rallentamento rallentando rallentare・・・ slentando とrallentandoの系統は、lento(遅い)と関わりがあるようだ。

*上関連で、lentと同様にtarという語根があるのかと調べてみたらtardo(遅い)という意味があるようで、これは発見である。lentoは用語として大層知られているが、tardoなどというのは見たことがない。

更にここから考えてみると、急に音を強くするという意味でsforzando (sfz)とrinforzando (rfz)という音楽用語があり、似たような意味で使われている。一説によると、rinforzandoのほうが強くする範囲が広いのだという話もある。

念のため『新音楽辞典 楽語』でリンフォルツァンドの項を見ると、「実質的にスフォルツァンドと同じ」と書かれている。但し初期には、短いクレッシェンドの意味であったともいう。

 初期の管弦楽曲(シュターミッツ)では、短く強いクレッシェンドの意味に使われた。

s- rin- ra- ri- などの接頭辞に明確な意味があるかどうかは分からない。長い歴史のなかで変化しているだろう。



# by rolling-thunder | 2012-05-22 21:43

人間世

今朝ほど金環日食があったらしいが、朝と知らなかったので特に起床せずに寝ていた。あとから聞いた所では天候が悪く当地では見られなかったらしい。他の地方では見られたところも多かったようである。

金環食がひとつの時代のエポックだという説もあるが、元々根拠は薄弱だからどうかなあというところはある。

鶏胸肉で「鶏ハム」を試作したが、巧く出来ていた。しかし一度に食べ過ぎたようだから、今度は少しずつ食べようと思っている。

食べてしまうと、横隔膜を激しく使うヨガをやる場合3時間くらいはやはり様子を見たほうがよいということで夕方の修練は出来なかった。そのかわり、横隔膜を動かさないで済むような別のことをやった。午後はずっと雨が降っていた。

夜、ある会合に参加したが、とても耐えられぬ。通常のただの「ミーティング」なのだが何なのだろうこの感じは。ふぅ~早めに逃げ帰って来た。自宅ではハガキの作成を頼まれたが横のテレビで朝鮮時代劇を流していたので疲弊した。

昔なら人といることももう少し我慢したことだろうと思うが、最近は敢えてそれをしようという気がない。積極的な気分も今はない。そのうち変わるかもしれないが。

下の写真は、木に咲いている花で芳香があり、ところどころで見かける。調べてみると栴檀(センダン)という種類だった。http://ja.wikipedia.org/wiki/センダン

インターネットがあると、花の種類を調べるのは速い。もしネットがなかったらそうとう苦労するだろうと思う。
# by rolling-thunder | 2012-05-21 22:26

フィッシング

今日は朝から調子が悪かったが、原因は昨日の寝方が悪かったことが挙げられる。また漸く行の疲れも出てきているようであり、今日は完全に休んだ。ピアノも妙に弾く気がしなかったが、夜になると調子が上がってきて何とかなった。

同じ音の配置でも時によってよく響いたりそうでなかったりするのはなぜか。一番大きいのは私自身の問題で、同じ音を聞いていると慣れというか飽きるというか、変わった音を欲するという人間の傾向がある。一日数時間も練習できる人というのは私とは持っているものが違うのだろう。

いずれにしても今、ほとんど人とも合わないが、この与えられた現状を十分に活かすようにしていくしかないだろう。架空の演奏会の予定でも立てるとするか。曲を難しく書き過ぎると後で弾けなくなってしまうし、単純だと弾いていてつまらないので絶妙のバランスを探らねばならない。

ナショナルジオグラフィックで「巨大魚 TOP5」という番組をやっていたので、録画して見た。一つ目はオオメジロザメという魚。次に出てきたのがアリゲーターガーという魚なのだが、それに出てくる若い男の考え方に疑問を持った。アリゲーターガーは素晴らしいという。そしてスポーツフィッシングは良い。ボウフィッシング(ボウガンで魚を射て捕る)は悪い。アリゲーターガーとの対決はエキサイティング。絶滅の可能性があるので保護したい。そんなことを言っていた。

ボウフィッシングをして、その魚を打ち捨てていくのは確かに良くないだろう。だがスポーツフィッシングはいいというのだが、別に魚の側でそんな対決など欲していないわけだし、引っ掛けて引きずり回されたら無傷では居られないだろう。まあ、それが一概に悪いとも言い切れないのだろうが、もしアリゲーターガーという魚を愛していると言うのなら、それがエキサイティングなどと言うのか。

どうも、そのへんが理解できなかった。タグをつけて生物調査なら他の捕獲方法もありそうなものである。私個人の考え方としては、釣りをするなら、釣って、それを食べるのが供養だと思っている。

今日は早く眠る。明日は金環日食だが、この分ではどうも観測は難しいようだ。それほど、見たいという気持ちが強いわけではない。

# by rolling-thunder | 2012-05-20 22:32

首の理論

夕方、川沿いを歩いていて思い出したが、野口晴哉が『体癖』(か体癖2)で首の太い人は長命であるといったようなことを書いていた。確か、第1種体癖のことについて書いた部分ではなかったかと思う。私の解釈ではそれは、脳がやられると人間は死んでしまうか、まあ良くても身体もある程度やられてしまうから首がしっかりしていたほうが健康であるといった意味なのだろうと思う。

これと関連してもう一つ思い出すのは、コリン・ウィルソンの小説で(『賢者の石』?違うかもしれない)哲学者に長命者が多いということを書いていて、例としてプラトンを挙げていたが、考えてみるとショーペンハウアー、カント、などは長命・・・だがデカルト、パスカル、キルケゴール、短命もいくらでもいるからあまり宛にならないか。

手の先に血液が大量に流れて問題になることはないが、頭に血液が大量に流れるとそれはちょっと問題だろう。だから手や足と頭は同様に扱うことができない。また気血という観点で言えば、督脈は首で別に途切れることなく流れるが、血管は確かに椎骨動脈というのがあるが、これは脳幹部分への血流を担っているので、頭部表層の血液は、首の前の総頸動脈から分岐した外頸動脈が担当している。つまり首の後頭部にしても、血液は前の方から回ってきている。

何が言いたいのかというと気の流れと血液の流れはこの部分では一致していない。この点も手足と少し違う。

現在のところ行によって体調の悪化は特に無いが、首の後ろの付け根の部分にエネルギーがつまっているのを感ずることがある。ただ健康だけを求めるなら、首のほうにエネルギーが使えないように、手のほうに流す。いわゆるアースと同じ事をする訳で、これで身体的には問題ない。

だが脱カルマということを考えるとこれでいいのかということにもなる。考えてみたが日常生活では手の方に大半を流してそれでよいのだろう。そして行の間は頭部にも流れることを許す。急いではならず徐々にやらなければならない。

調べたところによると最近では頸動脈狭窄症などということも取りざたされているようであり、上の野口晴哉の発言との関連を感じる。しかし勿論西洋医学では、身体を徐々にそのようにならない方向に持っていく、という考え方はしないだろう。必ず、薬等を使って治す、という考え方をするはずで、それが、まあ、アレなのだと私などは思う。

いずれにしてもこの部分は難しい。無理がないように進める必要がある。

# by rolling-thunder | 2012-05-19 21:25

東京で仕組を駿河美濃尾張

9時前には電池が切れたので、早めに見切りをつけて寝た。身体が変化するのは眠っている間だろう。

出口王仁三郎 三鏡
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg000

私は以前、『月鏡』は本を買ったことがある。「霊界物語」は訳が分からないが、上のは分かりやすいと思う。

『信心銘』と『証道歌』を、ひととおり目を通してみた。『信心銘』のほうが響くところが多いが、何度も読んでみる事にする。

王仁三郎の書いていることはそのまま今の世にまだ通ずるように感じる。明治維新以来、まだ150年が経過していない。神の経綸からすれば150年などは大した時間ではないのかもしれない。人間はせいぜい80年、短い場合は50年満たずに死んでしまうが・・・予兆は十分出揃っていると思うのだが、、こんな感じで徐々に進んでいくのか。

戦前に発表された予言で分かりにくいのは、それが第二次世界大戦に関する予言なのではないかと考えてしまうところだが、少なくとも戦後、神の国が実現されたと考える人間は誰もいなかっただろうし、現在の世の中を見ればそれはますます明らかであるといえるだろう。
# by rolling-thunder | 2012-05-19 03:10

今朝は、どこかに集団で旅行に行っているのだが壮大な景色が見える夢だった。海や、何か塔のようなものに登っていた記憶がある。細かいことは忘れた。起きた時、とても深く眠ったように感じ、寝過ごしたかと思ったがそれほどでもなかった。

疲れるほど行をやると大体、翌日に疲れが持ち越されて生活リズムが滅茶苦茶に乱れることも珍しくないが、最近はそういうことはない。ひょっとしたら養命酒が効いている可能性はある。

先生は、エネルギーを下から上に上げることを歯磨き粉のチューブに例えていたが、そういう感じは確かにする。ただ身体の深いところのものを上げている感じはしない。皮膚と筋肉の間の表層のエネルギーが動いているようだ。
# by rolling-thunder | 2012-05-18 17:00

住民票

夜、突如、雷とともに雨が降りすぐに止んだが気温が下がっていた。住民票を移動する手続きは昨日行い、国保の移動も終了した。最近、なるべく人と目を合わせないように気をつけている。目から入ってくるものが・・・というと危ない人のように思われかねないが、一瞬のそうしたものからその人の身体の状態がある程度感じられるのである。感じるということは実は自分がそこに一瞬でも同調してしまったことに他ならない。

「声」などもそうである。だから拡声器を使用して街を徘徊するなど論外であるのだが、なぜか最近はそれらの声を耳にしない。ひょっとしたらハガキを送りつけたのが功を奏したのかもしれない。こちらでは東京と違い、バッタ業者の数は少ない、いい事なのか悪いことなのか分からないが、わりとちゃんとした会社がそうした回収業務をやっているのである。

以前、市に問い合わせたところ、数は少ないが苦情の類は市にも来ているようだから、何らかの動きがあった可能性もある。いずれにしても何らかの手段で声を上げない限りは何も動かない。その手段は自分のやりやすい方法でよいだろう。

川べりで写真を取っているとモルモン教徒と思われる2人組に声をかけられそうになったので直ぐにその場を去ったが、気を取られていたせいか写真機を落としてしまった。少しボディに傷がついたが、作動はしているようである。

なるべく人と目を合わせないようにしていると書いたが以前、『ローム太霊講話集』という本に「世捨て人などとお主らは馬鹿にしているが、本当はお前らのほうがよほどぼんくらなのである」といったことを書いていた。この口調は、ローム氏の口調をそのまま再現した。こういう口調の霊なのである。多分どこかにその本はあるはずなのだが手元にない。

マスキング効果という聴覚現象があり、周波数を限定するとかなりはっきりとそれが分かる。以前、大学でその実験を見て驚いたことがあるのだが、もしも徘徊車が来た場合でも、窓を閉めてテレビを大きな音量で掛けるか、耳栓をしてヘッドホンをすればかなり外界の音は聞こえなくなるので、その意味でも、安心している。

現実は様々な周波数の音が混ざっているから実験の時ほど明瞭に音が消えることはないが、人間の声ならば、多分人間の声をかぶせたほうがマスキングされる可能性は高いだろう。

高知橋電停付近から南方向を望む




# by rolling-thunder | 2012-05-17 23:20

自由記述

Aセットで角度を守ること、というよりも腰の辺りを引き締めるとエネルギーが上に行きやすいようだ。その意味では必要であるのだろうと思った。だがエネルギーが登ったからだから何だというと、特に何もない。じゃあなぜ上に上げる必要があるのかというと、そういう行法だからだとしか言いようがない。

その意味は、これから分かってくるのかもしれないが、今のところはわからない。

ヨガではエーテル体を強化すると言うよりもナディの浄化(この場合エーテル体)に主眼が置かれているのではないかと書いたが、通りが良くなければ強くすることもまた出来ないだろうから、両者は矛盾しないと言えるし、あるいは浄化すなわち強化なのかもしれないとも考える。

気功の行法で、手足の気の通りは非常に良くなったと実感するものではあるが、気功に体幹部の通りを良くする行法もありそれも一時期非常に熱心にやっていたが、どうやら足らなかったようである。

足らなかったかどうかの自覚も実ははっきりとはない。この寒気のようなものはなんだろう。全く流れない状態なら多分不快感が発生するはずだから、要するに程度の問題である。

腕の場合は血管系の理解は単純だから問題ないが、背中などは一本の主要な幹線が何かあるという訳でもない。大動脈はあるがこれは内臓全体を潤しているから、いずれにしても経路が追いにくい。

ヨガは健康のためにやっていない。今のところ十分健康である。冬ならば足先の冷えは多少問題にはなる。暖房しておればほとんど問題はないが、暖房なしでも足先まで血液が行けばもっと良いだろう。

ふと思ったが、肉体脳を以て念じてもエーテル体に作用は及ぼせない。エーテル体の脳というものがあるのか、あるいはエーテル的な脳の働きというのか。

(つづく)


# by rolling-thunder | 2012-05-17 17:11

エーテル体の考察(つづき)

Aセットを今日は5サイクルと半分くらいした。午後五時頃、急激な眠気に襲われたが、これは行を集中的にやるとよくあることである。何の行でも私の場合、初めてから本格的にやるまで3年くらいの時間が掛かるようだ。行が自分に馴染むまではそのくらい掛かるのだろうと思う。

エーテル体は肉体とほぼ一体のものなので、肉体が病気になると多分エーテル体も衰えるのだろう。

エーテル体は『魂の科学』では生気鞘(プラーナマヤコーシャ)と呼ばれている。

「ヨーガ根本経典」を読んでみたが、表現が大げさなのと(不老のヨガ行者など知らんし)プラーナヤーマはエーテル体を強くするというよりもナーディの浄化が目的のように思える。この点、気功などとは違うようだ。もっとも気功も流派によって違うとは思う。

注釈で佐保田氏が「プラーナヤーマはクンバカ(止息)をするためにやるのだ」と書いているが、私の場合は先生に止息は害あって益なしと言われているのでやる気はない。しかし私見によれば自然に息が止まるときは別である。これにかんしては昔からそういった話があるし、山手氏も『宇宙瞑想』にそれを書いている。必要ないのに呼吸をすると酸素中毒になると。かなり稀な事例だとは思う。船頭では真息、胎息と呼ぶようだ。気功の先生は、息も止まるし、心臓も止まると書いている。

話がエーテル体から離れてしまった。三茄子先生(*隠語であり検索しても出てこないので注意)の本では、両手に気感を出して、それを文字通り練ることによって粘りを出していくというのだが、気感くらいはあるがそれで練れたことはない。一方で私が直接ならった気功ではそんなことはしない。それで身体が健康になった実感はあるが、エーテル体が強くなったのかというとちょっと疑問である。

肉体に働きかけることによってエーテル体に働きかけるところから、直接エーテル体を感じるところに軸足を移していく必要があるが、多分その移行まで行っていない人が多いということか。若しくはもともとそんなに鍛えなくても十分強い人。これ即ち才能といえる。そういう人も中にはいるだろう。

(つづく)

# by rolling-thunder | 2012-05-16 23:03

エーテル体の鍛錬について

筋肉を鍛えるには、反復運動と食事、休息ぐらいが主な要素だと思うが、エーテル体を鍛えることは出来るだろうかと考えた。

エーテル体は肉体からは通常独立していないので、肉体の鍛錬と多少重なるところもあると思う。エーテル体にとっての食物は、おそらく呼吸に当たる。ヨーガにおける五気の総称として、エーテル体が当たると思う。気を外に出すことがエーテル体の強化につながるだろうか。外に出すということは即ち五気でいうとヴィヤーナ気に当たる。

ここは少し疑問が残る。一部の気功を鍛錬することによって、気が粘りを持つようになるという。

夜10時頃、ヨガをやっていて屍の姿勢を取っているとそのまま寝てしまった。今の時期は中途半端なのでうたた寝はまだ危険であるが、幸い風邪を引くことはなかった。長袖シャツを着ていたのがよかった。

(つづく)
# by rolling-thunder | 2012-05-16 03:33
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